2002年 11月、12月
11月 血液データーへ
12月 血液データーへ

日付 検査内容など 日記
11
(月)
通院日

まさかの再発…
昨日は帰りも遅くてちょっと疲れたけど、今日は気をとりなおして病院へ。

いつも通り採血を済ませ、1時間後くらいに診察室に呼ばれる。診察室の椅子に座るとき、真っ先に先生の机の上の採血データが目に入った。
…全体的に下がってる…そっからはもう気が気じゃなかった。
とりあえず確認のために、急遽今日マルクをすることになった。だいたいのマルクの結果は1時間半くらいで出るらしいので、今日直接おしえてもらうことにした。この結果待ちの時間って結構精神的にツライからできるだけ早く聞きたかった。

でもそのたった1時間半待つ間でも、色んな思いが頭を駆け巡ってもう自分がどうにかなってしないそうな気分…

そして1時間半後、再び診察室へ。先生の何となく暗い表情…結果はやはり再発だった…。それを聞いた途端、主治医の前で泣き出してしまい、しかもなかなか涙は止まらない…。

せっかくここまで頑張ってきたのに…順調に治療を終えてやっと社会復帰もしてやっとこれからって時に…また入院!?また点滴してせっかく伸びた髪もまた抜ける…またあの食事…しかも今度は前よりも大変な治療…だって移植するんだもんね、ってことは放射線も浴びるの?じゃあ今度こそ不妊になるってこと?…

色んな思いが頭の中をグルグルまわる。

先生は私の気持ちを察してくれてるのか、はたまたこういった状況に慣れてるのか、ゆっくりと優しくこれからのことを前向きに説明してくれた。
以前、初発の時はあまりにも血液データが悪くて即入院だったけど、今回は2〜3日後の入院でいいらしい。

「また一緒にがんばろう!」って言ってくれた先生をこれ以上引き止めて泣いてばっかりもいられないと思い、何とか平静を装って会計と入院手続きを済ませて病院を出る。

まさかの再発…ここ数日も体調的には全く問題なかっただけに、本当に信じられない…。私ですら予想してなかったから、きっと家族や彼、友達もびっくりするだろうな〜。また会社にも迷惑かけるのか〜。でも何でまた再発…?

まずは彼に知らせようと思い、電話する。彼の声を聞いた途端、今まで我慢してたのがまたこみ上げてきて大泣きしてしまった。そのまま家に帰る気もせず、フラ〜ッと違う方面の電車に乗った。

実は私はこの時、死ぬことをちょっと考えてました。色んな闘病日記のサイトで、移植後に亡くなられた患者さんを何人か知っていたから…。(でも、移植で元気になられた方もたくさんいらっしゃるんですよね)

移植したからって完治するっていう保証もないし、例え寛解状態になっても重篤なGVHDがでたら…もし死ぬんだったら、病院じゃやだ〜!!!って正直思いました。

色々考えた挙句、やっぱり死ぬ勇気もなく、彼に連絡した。私が何も連絡せずにいたから、すごく心配してくれたらしい…ごめんね。
彼と卵子保存のことを考える。
彼も色々調べてくれて、卵子保存ができる病院に直接相談に行ってくれました。
結果、私の今までの治療の影響と今の体とこれからの治療のことを考えると、あきらめるしかありませんでした…。



この時は自分の事で精一杯だったので、これでいいと思ってましたが、移植後落ち着いてきてからは、これで本当によかったのかなぁ…と思ったこともありました。私は自分のことだから仕方ないけど、彼は…とかって考えるともう頭の中が収拾つかなくなったり…。
でも今は彼がずっと一緒にいてくれるってだけで幸せです

14
(木)
入院
11日のマルクの結果、骨髄中に48%、末梢血中に6%の白血病細胞が確認された。
2ヶ月前の9月17日に先生と話てたこと(もし再発したら…)が、まさかこんなに早く現実になるなんて思いもしなかった。その時には、もし移植するなら母親からっていうことだったけど、もし骨髄バンクにHLAが完全一致の人がいたら、ってことで調べてもらったけど、やはり今回も完全一致する人はいなかった。

ー後日ー
そして結局、先生や家族、彼ともよく相談して2座不一致の母がドナーになってくれることになった!
2座不一致でも、身内でしかも母親だと、非血縁者からの一座不一致の移植よりも色んな面でいいらしい。(母子寛容)
この時母は既に60才だったけど、健康診断の結果も問題なしだったし、快く引き受けてくれました。(…って実の親子なら当然なのかな)
16
(土)
再寛解導入療法開始
(抗がん剤点滴一週間)
12/17 マルク 寛解!
12/21 一時退院