2003年 12月


日付 検査など 日記
12月
採血
神経機能検査
今までは足のリハビリが殆どだったけど、手先のリハビリとして貼り絵とか字の書く練習をしだす。

〔貼り絵〕
昔からずっと図画工作が苦手だった私が、何で今更こんなことをするの?!、って思いながらやってました。結構普通に出来ていたと思います。

〔字を書く〕
手の震えも回復してたし、普通に鉛筆で紙に字を書いてみる。以前と同じ感覚で書いてるのに、すっご汚くて、自分でも何て書いてるか全然わからない字だった。



確か10日だったと思います。その日は久々の神経検査の日です。
結果はすぐには出ませんが、自分の中での手応えらしきものは無かったので、まだ無理なんかなぁ、とくらいにしか思ってませんでした。

そして次の日、夕方ごろに主治医と神経内科の先生が来室。
2人とも、なんか改まってる…。やな予感…は的中した。

神経内科の先生から、一度傷ついた脊髄はまず、回復することがないということ、これからの車椅子生活を考えて行きましょう、みたいなことを言われました。
以前(8月)にも主治医からそれらしきことは聞いてたから覚悟はできてたはずなのに、改めて言われると大泣きしてしまった。

その時、一緒にいた母も私を励ましながらも一緒に泣いてました。いつも気丈な母。その母の涙を見ると、またまた泣けてきて大変でした。


それから数日後、しばらく落ち着いてた頭痛がしてきた。
久々のCT検査とルンバール。以前の良性の腫瘍らしきものは大きくもなってないし、今回の頭痛とは関係なかったらしい。ルンバ-ルの結果も問題なしでした。
案の定、数日後には治っていました。

主治医の見解は、神経が高ぶってたんでしょう、とのことでした。神経内科の先生は、「今まで沢山の人に告知してきたけど、その時は平気でも後から精神的にショックを受ける人が殆どだから、当然のことなんだよ」っていう感じのことを言われたのを覚えてます。


そして、年末年始は1週間の外泊だ!といっても、間に病院へ戻って一泊したり、お風呂だけ入りに病院に行く、という予定でした。

去年の今頃は、再発して移植前やってんなぁ…、あの頃は一年後は生きてるか、もしかして死んでるかも、とは考えてたけど、まさか今、自分がこういう(車椅子生活)状態になってるなんて夢にも思ってなかったよなぁ…、なんていろんな思いをめぐらせてました。